2018.2

『ゴーストライター』ワークショップ・演劇

blanClass Anthology#3 on TPAM Fringe 2018

 

  ── 私が死んだあと、わたしが残した作品がだれかの手によって上演が行われたとしたら、わたしは、どんな気持ちでそれを見るだろうか ──  そんな疑問からこの作品は生まれた。

来場者はワークショップ形式で『100年年表』の作成を行い、自身が生まれてから100年間の出来事を書き出していった。書き進めるうち、年表はいつしか今の年を追い越し、未来の、自身にいつか訪れるであろう、それぞれの終焉へと結びつく。その後「あなたはいつ、どこで、どんな風に、側に居たのはだれか、最後の言葉は何か」、短いテキストを作成する。そして、一人づつ、カメラの前でテキストを朗読した。

カメラの映像は会場内にライブ映像として映写される。その横には、その場には居ない女優が、別室で朗読音声のみを聞き、即興的に終焉の上演を行う映像が流れる。

生者の想像の中の“終焉の時”は、次第に“死”の多像化/無効化の試みとなっていく。

『The Ghost writer』Work Shop and Theater performance (2018)

 

How would I feel and see it,if the work I left was performed by someone else after

I died?ー

This work born from that question.

Audiences draw up chronological table of 100 years own life.

They write down things 100 years from they born in this world.As they continue to write it,the chronological overtake present and they continue to write down it would be visited someday for themselves,then will connect to time of their demise.

After that 〔When,Where,How,Who will stand beside you,What is last word to you? 〕

Then they make own short text and they reading aloud it alone front of the camera.

Thet film are projected on the screen in the live space.In other room the actress hear sound of their reading aloud and perform extemporaneously about demise.And project it on the next screen.

‘’ The time of demise ’’ that the living imagine will be change into show various facets of death/attempt of nullification.

 

構成・出演高山玲子

翻訳・出演荒木悠

撮影・編集福井琢也

衣装高橋 愛(suzuki takayuki)

​日程 2018年2月

会場 blanClass http://blanclass.com/

Reiko Takayama Yu Araki + participants
Takuya Fukui

『ゴーストライター』

 −わたしたちは、終焉を上演するものたちです。

参加者による、"ここから消えた時"の話しを聞き、テキストにし、上演し、撮影し、作品にします。−

( 死は、本人が語る事が出来ない。残されたものによる死、その記憶は、いったい誰のものだろう? )

どうしてこんな事をするのかと言われると、わからないのだけど、わたしはもうずっと、居る人と居ない人の違いがわからない。居ないのは、きっと居ないのだけど、会えないから、でも居ない人も居るんじゃないかと、居る場所で、とても居る、今ここにも、わたしたちと同じように、営み、悩み、遊び、泣いて、笑って、怒って、居るんじゃないかなと、思う。思う事が、居ない人を居ないものにしないことに繋がる、わたしの中で、それは居ることである。

居ると思い込んでいるわたしたちは、なぜ、自分が居ると言い切れるのか、わたしは自分が本当に居るものなのか、それすらもたまに疑わしい、ただ、確かに居るんだけど、今は、でも居ないものになった時、わたしはどこに居るのか、わたしが居ないものになった時、みんなはわたしを、居ないものにするだろうか、もう居ないと言うだろうか、願わくば、わたしが居なくなった時、わたしのことを、どこかに居ると、どこかで今も、営んでいると、今日も変わらず、居ると、思っていて欲しい、なんて思ったりする。居ることと、居ないこと、その境界線はそんなにくっきりと違わない、かもしれない、その線を、少し、ぼかしたい、一生懸命、消しゴムで消してみたい。

居たり、居なかったり、行ったり、来たり、出来たらいい、会えたらいい、想像してみること、居ない人が居る場所を、わたしが居る場所が全てではない。あっちもこっちも、全ては今ここにある、と。

 © 2019 by Reiko Takayama

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